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5月

23

2014

中央区銀座地区再開発

「銀座」は江戸時代、銀貨の鋳造を行う「銀座役所」が置かれていたことが地名の由来である。当時の銀座は職人の町であり、商人の町であった日本橋や京橋に比べて地味な存在であったが、明治時代に大火で全焼し、焼け跡に銀座煉瓦街が誕生したことから文明開化の代名詞となった。その後、日本を代表する繁華街へと発展し、現在も商業地として地価日本一を誇る銀座の再開発状況をリポートする。

 

都心再開発の機運の中で立ちふさがる「銀座ルール」
銀座6丁目交差点から見た「(仮称)銀座六丁目10地区第一種市街地再開発工事」の建築現場

銀座6丁目交差点から見た「(仮称)銀座六丁目10地区第一種市街地再開発工事」の建築現場

明治・大正・昭和を通じて、銀座は日本最大の繁華街であり、また最先端の文化を発信するトレンドの街でもあった。高級百貨店が競うように出店し、老舗の商店が軒を連ね、最新のファッションに身を包んだ若者たちが肩で風を切って歩きまわっていた。1970年代初頭まで、地方出身者にとって東京といえば銀座であり、さまざまな流行が銀座の街から生まれた。また地方都市の繁華街の名称として「○○銀座」と本家にあやかって命名する例が全国各地で見られた。

だが、1980年代に入ると、こうした風潮は徐々に変化していく。若者たちは原宿や渋谷に集うようになり、庶民は新宿や池袋の百貨店で買い物を済ませ、銀座は「敷居の高い、玄人の街」として敬遠されるようにさえなった。当時から「日本一高い」といわれていた銀座の地価は、バブル経済の時期には天文学的な数字を計上し、ますます一般大衆には縁遠いものと印象づけられた。

 

2014年秋開業予定の「KIRARITO GINZA(キラリトギンザ)」建築現場

2014年秋開業予定の「KIRARITO GINZA(キラリトギンザ)」建築現場

そして、その後のバブル崩壊では、銀座の夜を彩った高級クラブのネオンサインが、ひとつ、またひとつと消えていった時期もあった。そんな、一時は忘れられかけた街である銀座が、ふたたび脚光を浴びるようになったのは、1990年代後半以降である。東京西部郊外への拡張が一段落し、バブル崩壊後の地価下落も手伝い、折から起こった都心回帰ブームのもと、銀座に再開発の波が訪れたのである。

ルイ・ヴィトン、ブルガリ、グッチ、エルメス……海外の高級ブランドが次々に銀座に旗艦店を出店。並木通りを中心に、晴海通り、銀座通りへと多くの著名なブランドショップが集積し、銀座に活気が甦ってきた。

 

だが、銀座の再開発には、他の街にはない特有の困難もあった。歴史ある銀座の街並みは、建物のほとんどが戦後の復興期である1960年代までに建設されたものであるだけに、「百尺(31m)ライン」と呼ばれる高さ制限が守られ、それが景観に統一感をもたらしていた。この景観を維持するべく、地元と中央区の協議により、1998年に地区計画「銀座ルール」が制定されたのである。

 

さまざまな規制緩和により超高層ビルが続々と誕生
松坂屋跡向かいの「(仮称)銀座ヨシノヤビル新築工事」建築現場

松坂屋跡向かいの「(仮称)銀座ヨシノヤビル新築工事」建築現場

銀座ルールでは、道路幅に応じて高さ13〜56mまでに制限され、容積率は基準を800%、最大でも1100%とし、開発に大幅な制限が課せられた。これにより、老朽化した建物を建て替えようにも、無制限な高層化は禁じられ、さらに容積率の関係で従前の建物より小さいものしか建てられないという、再開発計画にとって二重三重の壁となったのである。

しかし、あまりにも現状にマッチしていないと考えられたのか、このルールはまもなく有名無実化される。2002年には、銀座は都市再生特別措置法の「緊急整備地域」に指定され、容積率の制限は大幅に緩和された。2004年には地元企業による「銀座街づくり会議」が発足し、そのなかで地元の老舗百貨店である松坂屋が、森ビルと共同で大規模な再開発を計画する。

これが現在、銀座6丁目で工事中の「銀座六丁目10地区第一種市街地再開発事業」であり、松坂屋銀座店跡地を含む2つの街区から成る約1.4haの敷地に、売場面積約13,900坪の商業施設、基準階の1フロア貸室面積約1,850坪の大規模オフィス、文化・交流施設である「観世能楽堂」などから構成される銀座最大級の大規模複合施設が建設されるという。2014年1月に着工しており、竣工予定は2016年11月末となっている。

いっぽう、これとは別に、都市計画法の特定街区制度を活用して銀座8丁目に高さ121mの超高層ビル「銀座三井ビルディング」が2005年9月に竣工している。

銀座通り沿いで建築中の「伊東屋本店建替計画」。竣工予定は2015年春

銀座通り沿いで建築中の「伊東屋本店建替計画」。竣工予定は2015年春

こうした流れを受けて銀座ルールの見直しが行われ、2006年には「昭和通りより西の銀座中心部では一切の例外なく建物の高さを56mまでとする一方で、昭和通りより東では区長が『文化等の維持・継承に寄与する大規模開発』と判断した場合に限り56mを超える建物の建設が許可される」という新・銀座ルールが制定された。これに基づいて建てられたのが、2013年1月に竣工した高さ145mの「歌舞伎座タワー」である。前面には、創建から数えて5代目となる「歌舞伎座」が、タワーと一体化している。

 

 

 

 

2020年東京五輪を背景に至るところで開発が進む
昭和通りから1本入った「(仮称)ダイワロイヤル銀座一丁目計画」建築現場

昭和通りから1本入った「(仮称)ダイワロイヤル銀座一丁目計画」建築現場

かつて、戦後の焼け跡の中からいち早く銀座が復興したのは、1964年に開催された東京オリンピックがその原動力のひとつとなったといわれている。そして現在、2020年に開催が決定した東京オリンピックを背景に、銀座再開発はふたたび加速しているといっていいだろう。

開催決定前に竣工を迎えた「歌舞伎座タワー」をはじめ、計画の多くは数年前からスタートしているが、日本経済の復興とともに、今や銀座のそこかしこで建設の槌音がたくましく鳴り響いている。前述した「銀座六丁目10地区第一種市街地再開発事業」の銀座通りを挟んだ向かい側では、1907年創業の紳士靴・婦人靴専門店である「(仮称)銀座ヨシノヤビル新築工事」が10月の竣工予定に向けて急ピッチで工事を進めている。

銀座通りを東へ進んで晴海通りにぶつかると、銀座4丁目交差点で「サッポロ銀座ビル再開発工事」が、さらに外堀通りにぶつかる数寄屋橋交差点では「(仮称)銀座五丁目計画」が進行中だ。東銀座の方へ進めば「(仮称)銀座ミスバリシャトー」。
また、銀座通りを直進すれば、銀座2丁目で1904年創業の文房具専門店である「伊東屋本店建替計画」、銀座マロニエ通り沿いでは「(仮称)銀座2丁目計画」が5月に竣工を控えている。銀座通り口交差点近くでは「KIRARITO GINZA(キラリトギンザ)」も竣工間近であり、さらに通りの向かい側にある「銀座テアトルビル」は「コナミクリエイティブセンタ-銀座(仮称)」として改装される予定である。

このほか、銀座通りと昭和通りのほぼ中間では「(仮称)ダイワロイヤル銀座一丁目計画」が進められており、また、銀座7丁目方向まで足を伸ばせば「(仮称)銀座7丁目プロジェクト」「(仮称)ホテルユニゾ銀座七丁目」なども進行中である。
銀座という街の特性上、これらの新築ビルの多くは店舗やホテル、もしくは商業複合ビルで、純粋なオフィスビルはほとんどないが、いずれも直近1~2年内の竣工を予定しており、完成の暁には銀座の――否、東京の人の流れを一変させるだけの影響力を発揮するはずだ。

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